世異則事異

大学院生 読んだ文献のメモとか

同性婚を認めたエストニア

 覚書き。ちょっと前の話だけど、今年の6月にエストニアで同性婚の法制化が決まった(リンク先はHuman Rights Watchの記事)。同性愛者の結婚を求める新法が議会の多数による賛同で通り、年明けの1月から施行されるそう。これは急な話でもなくて、2016年には同性間のシヴィル・ユニオン(日本でいう「パートナーシップ制度」みたいなもの)が全国で認められたし、同性婚が可能な他国で結婚したエストニアカップルも認めるようになっていた。とはいえ同性婚が認められるのはやはり画期的なことで、これによって同性カップルが養子をとることも可能になった(異性カップルと違い当事者だけで子供を作れないことを考えれば、これはとても重要なことだろう)。

 エストニアの人口は130万ちょっとだから、これで直接恩恵を受ける当事者はそう多くない。でも、旧ソ連諸国のなかで同性婚を法制化したのはこれが初めてだし、旧共産圏という括りで考えても中南米キューバ(2022)やチリ(2022)に次ぐ事例なんで、まあめでたい話だ。下の図は今年の5月時点での各国の法制化の状況をピュー研究所がまとめたものだが、来年からここにエストニアが加わることになるわけだ。

 問題は、この法制化が世論とどう関係していたかという点だ。European Values Surveyのデータなんかを見れば分かるように、ヨーロッパの中でも同性愛にとても寛容な西欧とぜんぜん寛容でない東欧との差はとても大きい。少なくとも2018年の時点だと、エストニアでは同性愛者に寛容な人々は少数派だった。

出典:EVS/WVS (2022). European Values Study and World Values Survey: Joint EVS/WVS 2017-2022 Dataset (Joint EVS/WVS). JD Systems Institute & WVSA. Dataset Version 4.0.0, doi:10.14281/18241.21

出典:同上

 ところが、最近になって事情が変わり始めていたらしい。冒頭に貼ったHRWの記事でも紹介されている通り、今年の5月に行われた調査では、53%の国民が同性カップルの平等な結婚に賛成していたという。2012年の調査ではこれが賛成34%に反対60%だったというから、この10年ちょっとでかなりの変化があったことになる。したがって、議会によるこの決定もいちおう世論の多数派に沿っているわけだ。

 とはいえ、この場合は直接民主主義というよりも間接民主主義で、つまり国民投票ではなく議会の決定により決まったのだという点を忘れてはいけない。オーストラリアやスイスなどの場合は国民投票で多数派の賛成が得られたことが法制化をもたらしたが、エストニアの場合は議会政治を通じて達成されたわけだから、もちろん連立政権などの政局的な話が関わってくる。

 こうした世論の変化と法制化をどう解釈すべきだろうか? イングルハートらの議論に沿えば、解放的な価値が社会に広まるのは産業化と脱産業化のおかげだということになるが、この10年間のエストニアについてそういう経済的な観点からだけでは説明がつくとは思えない。もちろん、世代交代によりリベラルな人口が増えるほどの時間が経過したわけでもない。

 一つには、2016年のシヴィル・ユニオンの法制化が有効に働いたという仮説が立てられる。2018年(先述のEVSが行われた年)においてはまだその効果があまり出ていなかったとしても、7年経過すれば世論もポジティブな方に変わるかもしれない。つまり、同性カップルが結婚に近いユニオンを結べるようになったところで社会にこれといった悪い変化が起きなかったことが分かってきて、それで今度は結婚も認めてしまっていいだろうということになったという話だ。でもこれはまだ仮説だし、今度は2016年のシヴィル・ユニオン法制化(議会で決まったのは15年)がいったいどんな経緯で成立できたのかについても考えないといけない。その時も結構な苦労があったようだが、いかんせんエストニア語の文章にアクセスできないのでなかなか調べ切れていない。

 シヴィル・ユニオン以外のもう一つの重要な背景として、この国が置かれた国際的な位置もある。旧ソ連構成国だったエストニアは、2004年にEUNATOへ加盟して、それ以降EU(それに北欧諸国)との関係強化に努めてきたとされる。この国史上初の女性首相でもある現首相のカヤ・カッラス(2021-)も、おおむねこの路線を引き継いでいると言ってよさそうだ。彼女は中道右派の改革党所属だが、今年になって連立を変えて、社民党と新興リベラル政党の「エストニア200」との連立を組み始めた。このカッラス政権は対ロシア強硬派とも評されていて、実際に親EUかつ親ウクライナの姿勢を強く見せてきた。もしかしたら同性婚の法制化も、このEUの国家戦略と関わっているかもしれない。つまり、「もはやロシア側ではない」EU寄りのリベラルな国家であることを示すには、同性愛者の権利保障といったところから始めるのがよいだろうというわけだ。かたや件の侵略戦争が始まって以来のロシアでは、性的指向やジェンダーに関する表現を規制する通称「ゲイ・プロパガンダ法」(2013~)が強化されたりと、不穏な出来事が続いている。この状況だと、左右問わず政治リーダーたちが国家戦略としてリベラルな改革に重要性を見出すのはもちろん、市民社会の側も国際的な事情に影響されてよりリベラルになるかもしれない。

 カッラス自身は初めから法制化にかなり乗り気だったようだが、もともと中道右派だったはずの改革党の内部からはやはり反対の声も結構あったらしい。それでも、最終的には改革党議員のほとんどが賛成に票を投じた

 この法制化の原因についてはまだまだ調べる必要があるけど、それが他の国々に及ぼす影響についても気になるところだ。社民党党首で内務大臣を務めるラウリ・レーメネッツ(Lauri Läänemets)は、法制化のちょっと前、Politicoのインタビューにこう答えている

 

 他の国々における経験が明らかにしているのは、同性婚の法制定を採択すれば、同性婚に対する公衆の支持はかなり急速に伸び始めるだろうということです……カヤ・カッラスが彼女の党に対して、同性婚の権利にむけたおそらくより野心的な計画を支持するよう説得できるとすれば、それはエストニアにとってのみならず、より広い地域にとっても、意義深い決定(landmark decision)になるでしょう。

 

この見方はそこそこ納得のいくものだ。法制定の影響力についていえば、台湾でも、慌ただしい経緯で同性婚が法制化されたあと世論が好意的な方へと変わりつつある(これはまた今度書くつもり)。エストニアの件が持ちうる国際的な影響力についても、確かに注目すべきところだ。南アフリカは地域で一国だけ同性婚を認める国になったが、EUに所属する東欧諸国の場合は、これからどうなるかわからない。エストニアに続き同じような経緯で変わっていく国が今後も出てくるかもしれない。