Djelic, Marie-Laure, 2008, "Sociologial studies of diffusion: is history relevant?" Socio-Economic Review, 6(3): 538-557.
社会学における伝播(diffusion)理論のレビュー。著者はハーバードで博士号を取ったフランス人の社会学者で、今はシアンス=ポで教えているらしい(結婚で変わったのか、現在はSallesという姓だ)。「歴史は重要か?」という副題がついているのは、「歴史はどのように重要であるか」というシンポジウムで提出された論考であるためのようだが、その他の論考を読んでいないのでつながりはよく分かっていない。
著者によれば、様々な文脈における観念や形式の類似性(収斂)を説明する理論には大きく分けて二つある。一つは近代化理論で、もう一つは伝播理論だ。
■近代化論
近代化論*1によれば、異なる諸文脈において似たような形式や観念が見られるのは、そうしたものの導入を促す圧力があるからだ。例えば、経済成長や識字率の上昇が起きると人々が民主的な価値観に目覚めて民主化する、といった議論が近代化論だろう。それぞれの文脈で生じる同じような圧力(往々にしてそれは経済的・技術的なものである)を踏まえれば、云々の観念や制度を取り入れることが最適解だということだ。
著者によれば、近代化論の特徴は以下の四つである。
(1)変化を経験する対象(制度とか組織とか)は、すべて独立したものとして扱われる。だから例えば、アメリカで起きた諸々の発展がほかの国々における発展に影響を及ぼすとかいったことは考慮されない。
(2)そうした対象の歴史的背景は考慮されない。細かい文脈を超えた法則のようなものが追及される。
(3)個人やネットワークの果たす役割は軽視される。諸々の変化は構造的な圧力の所産であり、諸個人は精々その変化を媒介するものとしかみなされない。
(4)完全な収斂を前提とする。同じ圧力(インプット)があれば同じ形式や観念の導入(アウトプット)に帰結するはずだからである。
■伝播理論
タルドや新制度主義者たちの伝播理論は、大きく異なる考え方をする。異なる諸文脈において観念や形式の類似性が見られるのは、それぞれの文脈間において伝播が起きているからなのだ。伝播は、交通やメディアの発達によりコミュニケーションの密度が上昇すると、より起きやすくなるだろうし、それだけ諸社会間の類似性も上昇する。
著者によれば、伝播理論の特徴は以下の四つである:
(1)諸々の対象というより、むしろそれらの間の「つながり」の方が重視される。したがって、諸事例間の「比較」だけでなく、諸事例間の相互作用についても考えなければならない。(例えば、イギリスと日本の近代化過程を比較するというとき、イギリスで発展してきた制度や思想が日本の近代化にどう影響したのかという観点も重要になる)。
(2)各々の対象がおかれた歴史的文脈が重要視される。模倣が起きる条件に関心があるからである。タルドは既に、「イデオロギーや制度について、その歴史をたどることによって説明する」ことを推奨していた。
(3)アクターやネットワークを軽視しない。ある観念や形式の普及を促進する人もいれば、積極的に模倣する人、それを変形しようとする人、あるいは拒絶する人もいる。(この辺の記述はわかりにくいが、そうした行為の動機に焦点を当てることもできる、という意味だろう)
(4)近代化論ほど完全な収斂を前提とはしていない。ある制度が模倣されるというとき、何らかの解釈が混ぜられ、模倣の元とは異なった形で定着することもあり得る。これはANT派*2のいう「翻訳(translation)」だが、タルドもそのことに気づいていて、次のように書いている:「ある人種・国民から他の人種・国民へと行き渡るにつれて、模倣は変容するものである」。
著者は伝播理論を三つに分けている。①疫学的伝播論、②埋め込み性重視の伝播論、③調停・構築としての伝播論である。
①疫学的伝播論
社会現象の伝播を、インフルエンザの流行と同じように分析する立場である。これは組織論でよく見られるもので、Hannan and Freeman(1977)やMeyer and Rowan(1977)を理論的背景に持つ*3。経験的研究として取り上げられているのはTolbert and Zucker(1983)の名論文と、David Bachという経営学者の研究(インサイダー取引の規制の世界的普及に関する研究らしい)。こっちは組織論や世界社会理論の文献ではおなじみの考え方だ。
②埋め込み性との遭遇としての伝播(Diffusion as encounter with embeddedness)
節題はわかりにくいが、要するに伝播してくる形式や観念と現地の文脈との関係に注目する立場。疫学的アプローチと異なるのは、(定量的に把握できる)伝播のパターンというより、むしろ具体的な受容のされ方に焦点を当てるところにあるらしい(ということは、質的あるいは歴史的研究の方が多くなるのかもしれない)。ここで紹介されているのは、著者自身の研究に加えて、Eleanor Westneyという人の明治日本における組織モデルに関する研究だ。いずれも、アメリカや西欧から伝播してくるモデルが、伝播の過程でいかに変容するのかを分析しているらしい。
③調停あるいは構築としての伝播
②と大差ないように思うのだが、これは伝播の過程における「創造」に力点を置く。伝播の中で全く新しい観念や制度が生じてくることに注目するらしい。
著者はこれに関連して、(「経路依存性」に代えて)経路生成(path generation)という概念を提示している。アクターは歴史的・制度的文脈に左右されるのみならず、自ら新しい文脈を創り出しもするということなのだろう。
後は、伝播の研究にはニーチェ=フーコー的な系譜学的アプローチが必要である、みたいな話をして終わり。確かに、〇〇の伝播について論じるというとき、その〇〇自体は最初どこでどうやって生じたのさ、と問うてみることは重要だろう。そんなのは誰でも思いつきそうなことではある。でも確かに、例えば世界社会理論の文献なんかでは、リベラルな観念や制度の普及について論じられる一方で、それらの起源についてはあまり論じられなかったりする。だからこの文脈では、大げさに系譜学的アプローチとか言ってみることも意味があるのかもしれない(なにしろ、デュルケムは社会学を「制度の発生と機能の科学」と呼んでいたのだ)。
近代化論に対する手短なレビューがかなりいい加減なのは、本題ではないので仕方ない(Eisenstadt以降のより洗練された近代化論なら上記の批判の多くを免れているだろう*4)。伝播理論のレビューの方については、②と③をわざわざ区別する必要があるのかと思ったが、ともかくそれらが新制度主義とはやや毛色の違った伝播理論の系譜として認識されている、ということが分かったのは収穫。②や③においては、たぶん(①よりも)伝播に関わるアクターの動機や利害関心といったものが重視されるわけだから、「伝播」というよりも(タルドと同じく)「模倣」という語を使った方がいいのかもしれない。伝播するというのは制度や観念にくっつく述語で、模倣するというのはアクターにくっつく述語だからだ。伝播の過程は、アクターの観点からいえば模倣(ないしは拒絶)の過程である。